或る日の店長との会話

「市川さん、ウチの副主任のBが、何て言うか、弱いんですよ。ちょっと人に聞かれたら困るんですけど、本部は、Bを女性の主任候補にしたいって連絡して来ているんですよ」
「おお。それはすごいですね。私が御社にお世話になるようになってから、女性の主任は初めてじゃないですか」
「いや。他にも市川さんが行ったことのないウチのグループの店に一人いますが、業界内の経験者を中途で採った人間なんで。新卒では女性主任は確かにBが初めてだと思います」
「ああ、そうだったんですか。気合入りますねぇ」
「いや。だから、その気合が入ってなくて困るんですよ。ぬるいんですよ。こう、仲良しこよし的な感じなんです」
「仲が良いのは良いことじゃないですか」
「いや。市川さんも言ってるじゃないですか。管理者は嫌われ役をやれって。それが全然できないんすよ。あいつは」
「じゃあ、研修でもしますかねぇ」
「研修…ですか」
「はい。まずは状況確認から始めますけど」

実際に店舗の現場で発生しているシーン

店長に見てみて欲しいと頼まれた遅番のミーティングを傍らから見ていると、その時の注意事項は数分単位ながら遅刻が常習化しているスタッフへのものでした。主任が、「それじゃあ、注意事項。B、よろしく」とBさんに振ると、Bさんは笑顔で言いました。

「あ。はい。今日のみんなへの注意事項は、遅刻です。過去二週間で遅刻が全部で10回ぐらい発生しています。どれも、1分、2分のことで、実際の仕事には影響がないですが、遅刻は規則違反です。その、やっぱりやらないようにしなきゃダメだと思います。みんな、色々と理由はあると思いますが、一応、互いに注意して、遅刻を今週はないようにしましょう」。

横に立っていた主任がイライラしているのが顔を見なくても分かりました。

個別カスタマイズ研修の企画と実践

私はミーティングの後に、Bさんを呼び、主任にOKを貰って、30分程面談することにしました。Bさんは頭も良い女性なので、店長や主任からの自分の評価に自覚的でした。

「今日のミーティング。あの遅刻の10回分って、タイムカード見たんだけど、あれ、二人のスタッフの遅刻で全部だよね。名指しで注意したりしないのは、どうしてかな」と私が尋ねると、Bさんは答えました。

「私もその二人と個別に話したんですけど、二人とも家が遠いのと学生なんで勉強が忙しいらしいんです。状況を分かっているから、働いてもらっているだけいいのかなと…。それに、副主任の仕事って皆が楽しく仕事できるようにすることだと思いますし」。
「でも、そういう風に遅刻を許していたら、他の人は楽しくないんじゃないのかな。じゃあ、私も遅れてもいいのかなってみんな思うようになって、どんどん遅刻するようになるよ。ビシッと注意すべきことは注意しなきゃダメだよね」と私が言うとBさんはうつむいてはいと答えました。

まずは本人の納得を得ました。嫌われ役になることは本来誰しも嫌なことです。合理的な理由による納得もなく嫌なことを指示すると、退職の可能性も高まります。貴重な女性主任候補者を辞めさせてしまうリスクは回避しなくてはなりません。

今度は主任に私を相手に先ほどミーティングで自分ならどんな風に注意事項を告げるかをロープレでやっていただくことにしました。突然のおかしな依頼に主任は面食らっていましたが、二度三度とやるうちに、どんどん、怒りが湧いてきたのか、迫真の演技で、二人のスタッフに順番に個別の遅刻状況の現実を告げて、他のスタッフがどう思っているかを説明する、厳しい注意を行なうようになりました。罵倒するようなことはないものの、深刻で真剣な口調は聞き手をすくませるものがありました。

私は主任に内緒でその数回を録音しました。次にBさんを呼び、主任の注意を聞かせ、文字起こしをしてもらいました。その原稿をプリントアウトしてもらい、そのままロープレ原稿にして練習してもらいました。

「『一応』とか『ちょっと』とか『思います』とか入っていないよ。勝手に付け加えないで」と注意して、2度、3度と繰り返すと、Bさんなりに感情がこもってきました。

そこで、今度は明日以降予定されている注意事項連絡の服装の乱れをネタにして同様に注意の練習をしてもらいました。最初はやはり自信無げな態度が復活していましたが、私が「きちんと言わないとそのスタッフのためにもならないよ」と言うと、徐々に毅然とした態度に変わっていきました。

カスタマイズ研修後の様子

私が再訪問してみると、ミーティングのBさんは詰問こそしないものの、注意対象の個別のスタッフに何がどうダメなのかをきちんと告げるようになっていました。それから数か月後、Bさんは主任に昇格しました。